2016/02/25
こんにちは。
社長の荒川です。
先日、縄文人を取り上げたテレビ番組を見ていましたら、
埋葬された形できれいに縄文人の骨が発掘された「小竹貝塚」が紹介され、
「おらが村」(9才まで住んでいました)の紹介に「おおっ!」と気をよくしました。
家が割と近くだったことから
毎日「小竹貝塚」(当時は「田」)の横を通っていましたが
まさかといえば、まさかです。
本家のおばあちゃんが「大昔は海だった」みたいなこと言ってたなぁ…
なんてこと思い出しながら
数キロも遠浅な海が広がる光景が浮かびます。
そんなことから
貝塚から近い富山県埋蔵文化センターに行ってきました。
縄文土器というと
岡本太郎の芸術バクハツ的な
うねうね宇宙人みたいな土器が目に浮かびますが
意外にも、静かな土器も多数あるようです。
写真中央の2つの甕は、中世(平安~室町初期)の陶器みたいな美しさがあり
「いや~、ひとつ欲しいなぁ…(笑)」なーんて思ってしまいます。
縄文人がどれだけの言葉を使い
何を想い、何を考えていたのかは判りませんが
稲作も鉄器も持っていなかった彼らが
こんなに美しい形を造っていた…なんて
魯山人が述べている
「自然界に存在する美」を掴まえる感性が縄文人にあって
現代に生きる私達は色々毒されていて、感性を失っている…
ということなのかもしれません。
ムンクみたいな写真の本ですが
著者は歌舞伎役者「市川猿之助」です。
切々・淡々と古美術(主に陶磁器)愛好者の苦喜苦(笑)がつづられていて
天地の違いは当然ですが
同病患う私には「猿之助」様(笑)が身近に感じられます。
心に残った一文の中からひとつ
「多少無理してでも、自分の手が届くよりも少し上のものを買え、そうしなければ目が肥えない」
(京都の美術商 柳孝氏の言葉)
「多少」という表現ですが、大変厳しい教えです。
そういえば、こんなセリフも読んだ(著者 中嶋誠之助氏)ことがあります。
「ぼろ絹着ても、綿着るな」
(目利きを志すなら、ボロや絹を着ても、けっして綿を着てはいけない)
中途半端な選択・お金の遣い方の戒めです。
なんだか、話がくどくなりました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
では、また。